最終話 「フラノ・マルシェ」事業採択なる! [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
室長の人事異動という、誰もが予想だにしなかった(三文小説でも描けないような)劇(画)的ハプニングの嵐吹き荒れる中、大幅な計画の見直しで二次募集に望んだわれわれに、待ちに待った朗報が届いたのはそれから3ヶ月後、さわやかな初夏の風吹く7月9日の朝だった。
思えば長い道のりだった。
富良野市の新たな中心市街地活性化基本計画が、内閣府の認定を受けたのは2007年の11月。
気が付けばあれから早くも一年半以上の月日が流れたことになる。
「歳月人を待たず(Time and tide wait for no man)」「荒淫・・・・もとい、光陰矢のごとし(Time flies like an arrow)」だ。
商工会議所議員として、わずか3年目の新米議員が、何の因果か法定協議会の副会長、その下部組織である運営委員会の委員長として、富良野市の新たな中心市街地活性化基本計画をまとめるという大役を仰せつかって以来、何かに憑かれたかのごとく「ルーバン富良野構想」の実現に向かってひた走ってきた。
いきさつはどうあれ、退路を断った(断たれた)とき、人間ってやつにはとてつもないエネルギーが生まれてくるものだとつくづく思う。一体自分のどこにこんなエネルギーがあったのだろう。
いや、これはもう自分の意志を超えたなにか別の力、「運命」としか言いようのない見えざる力が働いていたとしか思えない。
「天はそのひとが背負いきれないほどの荷物を背負わせない」といつか先輩に教えられたことがある。
要は我が身に突きつけられたテーマを、天から授かったミッションとして受け止め、自らの力で克服しようとする強烈な意志があるかどうかということだ。
私はみずからを「納得力の男」と称しているが、「納得力」とはそれが正しいと理解したときには、いかなる難題であっても、決して逃げることなくその難題と向き合い、克服しようとする力のことだと定義づけている。
背負うべくして背負わされたテーマ。
ここで逃げては男が立たぬ。
立たぬ男に用はない(下ネタかよ)。
閑話休題
三人でスタートしたまちづくりコアメンバーは、気が付けばいつの間にか10名の精鋭(?)にふくれあがっていた。
その歴史はこうだ。
「まちあわ(まちづくり口角泡おやじ)」トリオ=N本、Y浅、O玉
↓
「まちあわ何四天王」=N本、Y浅、O玉、Tノ内
↓
「白浪五人男」ならぬ「白髪(しらがの)五人男」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木
↓
「荒野の七人」ならぬ「好々爺の七人」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木、K下、K川田
↓
「真田十勇士」ならぬ「災難だ十勇士」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木、K下、K川田、Y田、S木、O野田
詳しい説明は省略させていただくが、このほかにも、われらがまちづくりのソウルメイトは数知れない(物語の都合上、無理やり10人に絞り込んでしまったので、もれた方はごめんなさい)。
そしてその誰もが富良野を愛し、富良野をもっと素敵なまちにしたいと心底願い、願うばかりでなく、その思いを形にすべく自発的に行動してきた実践の人たち=ソウルメイトなのだ。
いったい、こんなまちが他にあるだろうか?
一人では到底なしえないことも、十勇士なら可能となる。
互いの足らざる所を補い合い、それぞれが持ち前の得意分野で力量を十二分に発揮することで、その力は爆発的なエネルギーとなって表出される。
オールフォーワン、ワンフォーオール。
「まちづくり」とは「まち育て」のことだと思っている。
「まちづくり」が、ともすると単なる「ものづくり=箱ものづくり」で終わってしまいがちなのに対して、「まち育て」には「継続的にまちを大切に育て上げてゆく」というニュアンスがある。
わかりやすく言えば「子づくり」と「子育て」の関係。
「子づくり」という言葉には「育てる」という意味合いがない。しかし、たとえどんなに出来が悪い子でも、即座に「ダメだからもう一人作ろうか」というわけにはいかないわけで、わが子のあるがままを真摯に受け止め、一人前の人間にすべく手塩にかけて育ててゆくのが親としてのあるべき姿。そしてそれが「子育て」というものだ。
まちづくりにも同じことがいえる。
箱ものばかりじゃんじゃん作っても、そこに愛と魂を込め、じっくり育て上げようとする意志がなければ、箱ものは単なる箱もので終わってしまう。
「ないものねだりのあるもの無視」という態度を改め、与えられた諸条件の中からわがまちの良いところを見つけ出し、その長所を長い時間をかけてじっくりと育て上げてゆく。
「ルーバン・フラノ構想」は「まち育て」そのものなのだ。
幾多のハードルを乗り越えてルーバンフラノ構想の第一期事業=「フラノマルシェ事業」はようやくスタートラインにつくことができた。
9月1日地鎮祭実施。来春にはいよいよオープンとなる(4月28日です)。
われらがソウルメイトの誰もが万感胸に迫る思いでオープンの日を迎えることだろう。
だが、これはあくまでまちなか活性化の一事業に着手したというに過ぎない。
口角泡しながら夜通し議論しあった「ルーバンフラノ構想」。
Y社長の「ねえ、ねえ、ちょっと聞いて聞いて」の一言から始まったわれらが「まち育て物語」。
「愛」と「ルーバン」な日々、完結編への道のりはまだまだ遠い。
終わり
思えば長い道のりだった。
富良野市の新たな中心市街地活性化基本計画が、内閣府の認定を受けたのは2007年の11月。
気が付けばあれから早くも一年半以上の月日が流れたことになる。
「歳月人を待たず(Time and tide wait for no man)」「荒淫・・・・もとい、光陰矢のごとし(Time flies like an arrow)」だ。
商工会議所議員として、わずか3年目の新米議員が、何の因果か法定協議会の副会長、その下部組織である運営委員会の委員長として、富良野市の新たな中心市街地活性化基本計画をまとめるという大役を仰せつかって以来、何かに憑かれたかのごとく「ルーバン富良野構想」の実現に向かってひた走ってきた。
いきさつはどうあれ、退路を断った(断たれた)とき、人間ってやつにはとてつもないエネルギーが生まれてくるものだとつくづく思う。一体自分のどこにこんなエネルギーがあったのだろう。
いや、これはもう自分の意志を超えたなにか別の力、「運命」としか言いようのない見えざる力が働いていたとしか思えない。
「天はそのひとが背負いきれないほどの荷物を背負わせない」といつか先輩に教えられたことがある。
要は我が身に突きつけられたテーマを、天から授かったミッションとして受け止め、自らの力で克服しようとする強烈な意志があるかどうかということだ。
私はみずからを「納得力の男」と称しているが、「納得力」とはそれが正しいと理解したときには、いかなる難題であっても、決して逃げることなくその難題と向き合い、克服しようとする力のことだと定義づけている。
背負うべくして背負わされたテーマ。
ここで逃げては男が立たぬ。
立たぬ男に用はない(下ネタかよ)。
閑話休題
三人でスタートしたまちづくりコアメンバーは、気が付けばいつの間にか10名の精鋭(?)にふくれあがっていた。
その歴史はこうだ。
「まちあわ(まちづくり口角泡おやじ)」トリオ=N本、Y浅、O玉
↓
「まちあわ何四天王」=N本、Y浅、O玉、Tノ内
↓
「白浪五人男」ならぬ「白髪(しらがの)五人男」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木
↓
「荒野の七人」ならぬ「好々爺の七人」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木、K下、K川田
↓
「真田十勇士」ならぬ「災難だ十勇士」=N本、Y浅、O玉、Tノ内、A木、K下、K川田、Y田、S木、O野田
詳しい説明は省略させていただくが、このほかにも、われらがまちづくりのソウルメイトは数知れない(物語の都合上、無理やり10人に絞り込んでしまったので、もれた方はごめんなさい)。
そしてその誰もが富良野を愛し、富良野をもっと素敵なまちにしたいと心底願い、願うばかりでなく、その思いを形にすべく自発的に行動してきた実践の人たち=ソウルメイトなのだ。
いったい、こんなまちが他にあるだろうか?
一人では到底なしえないことも、十勇士なら可能となる。
互いの足らざる所を補い合い、それぞれが持ち前の得意分野で力量を十二分に発揮することで、その力は爆発的なエネルギーとなって表出される。
オールフォーワン、ワンフォーオール。
「まちづくり」とは「まち育て」のことだと思っている。
「まちづくり」が、ともすると単なる「ものづくり=箱ものづくり」で終わってしまいがちなのに対して、「まち育て」には「継続的にまちを大切に育て上げてゆく」というニュアンスがある。
わかりやすく言えば「子づくり」と「子育て」の関係。
「子づくり」という言葉には「育てる」という意味合いがない。しかし、たとえどんなに出来が悪い子でも、即座に「ダメだからもう一人作ろうか」というわけにはいかないわけで、わが子のあるがままを真摯に受け止め、一人前の人間にすべく手塩にかけて育ててゆくのが親としてのあるべき姿。そしてそれが「子育て」というものだ。
まちづくりにも同じことがいえる。
箱ものばかりじゃんじゃん作っても、そこに愛と魂を込め、じっくり育て上げようとする意志がなければ、箱ものは単なる箱もので終わってしまう。
「ないものねだりのあるもの無視」という態度を改め、与えられた諸条件の中からわがまちの良いところを見つけ出し、その長所を長い時間をかけてじっくりと育て上げてゆく。
「ルーバン・フラノ構想」は「まち育て」そのものなのだ。
幾多のハードルを乗り越えてルーバンフラノ構想の第一期事業=「フラノマルシェ事業」はようやくスタートラインにつくことができた。
9月1日地鎮祭実施。来春にはいよいよオープンとなる(4月28日です)。
われらがソウルメイトの誰もが万感胸に迫る思いでオープンの日を迎えることだろう。
だが、これはあくまでまちなか活性化の一事業に着手したというに過ぎない。
口角泡しながら夜通し議論しあった「ルーバンフラノ構想」。
Y社長の「ねえ、ねえ、ちょっと聞いて聞いて」の一言から始まったわれらが「まち育て物語」。
「愛」と「ルーバン」な日々、完結編への道のりはまだまだ遠い。
終わり
第5話 突然の人事異動 [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
本省から指摘された点を考慮し、われわれなりの理論武装で、なんとか正面突破を図ろうとするのだが、なにしろ1次募集の締め切り迄あまりに時間が不足している。
二次募集認可となると工事にかかれるのは早くて9月。
下手をすると工事は冬場にかかってしまい、外構工事を年度内に終了させることは不可能になってしまう。
いっそ、補助金をあきらめ、自前でやってしまうか。
なにしろ富良野市民の思いがぎっしり詰まった事業なのだ。
目の前にぶら下がっている一億数千万の補助金を蹴ってでも来年春のオープンにはどうしても間に合わせなければならない。これ以上待たせるわけにはいかないのだ。
「会頭、こうなりゃ俺たちにも意地がある。いっそ補助金なし、100%自前の事業としてやるってのはどうだろう?補助金なしだってやっていけるよ、この事業は」
いったいどこからわいてくるんだろう、この変な自信は。
追い込まれたときの人間ってやつは、とんでもないことを平気で言いだすからおそろしい。
が、視野の狭窄に陥り、必要以上に熱くなっているわれわれを尻目に、ひとり冷静な判断を下す男がいた。われらが会頭だ。
「う~ん、確かに自前でも十分成立する事業だと俺も思うよ。でもさ、この計画が経産省に蹴られたとなると、周囲がどんな反応を示すか。「ほら見ろ。あいつらかっこいいこと言ってるけど、結局経産省にけられてしまったべや」って、言いふらされるのが落ちだ。そうなると、せっかく盛り上がったムードに水を差すことになりかねない。工期は確かにしんどいけど、それは地元の土建屋の力でなんとかする。全市的協力を得るにはやはりなんとしても二次募集に応募して経産省の認定を受けなければ」
そうなのだ。マルシェ事業が市民コンセンサスを得、どうにかここまで来れたのも、「内閣府認定」という国のお墨付きあったればこそ。
国が認めようとしない事業を、市民のみなさんに「後押ししてください」とお願いしたところで、まるで説得力がない。
自らの力不足を認めるようで残念だが、「国のお墨付き」という名の印籠が今われわれにはどうしても必要なのだ。
「たしかに冷静に考えると会頭の言う通りかも。よし、じゃあこうなったら1次募集をあきらめて、2次募集にかけよう」
2次募集に応募するとなれば、もうこれ以上議論しているヒマはない。
経産省から指摘されたポイントをしっかり押さえ、しかしわれわれとして譲れないところはしっかり主張して、今度こそ難攻不落のあの室長を口説き落とすのだ。
決意もあらたに計画を練り直し、めざすはいざ経産省と、再度鼻息も荒く仕切り直したわれわれだったがー
3月某日の朝、玉ちゃんから電話が入った。
「N本さん●報です。経産省の室長が4月の人事異動で転勤になるそうです」
じゃーん!じゃじゃじゃじゃーん!(火曜サスペンス風に)予期せぬ出来事第二弾~!
難攻不落だったあの本省の室長が、3月末をもってなんと人事異動になるというのだ。
理論武装によって室長を説得し、あくまで正面突破を図ろうと鼻息も荒く身構えていたわれわれとしてはなんともはや複雑な思い、振り上げたこぶしはいったいどこに向ければいいのか。
いや実際のところ、とっても「むふふ」な気分なのだが、そんな様子はおくびにも出さず、
「いや、 「人間万事塞翁が馬」、説得すべき相手が変わろうと、われわれの信念に変わりはない。また一からやり直しというのは、確かにエネルギーがいるけど、こじれた話を新任の室長と一から議論できるというのはむしろラッキーな話じゃないか」。
しかしまあ、どこまで強がって見せれば気が済むんだ、自分。
(よ~し、これで突破の可能性がグンと高まったぞ)
室長が変わったからといって、この先どう転ぶかもわからないというのに、なんたるこのノー天気ぶり。
すべての物事を自分の都合のいいように解釈する、小生の面目躍如であった。
二次募集となれば失敗は絶対に許されない。これがダメなら自前でやるしかない。われわれは今や崖っぷちに立たされているのだ。
経産省からの指摘を真摯に受け止めつつ、計画内容を大幅に修正、局とも綿密な打ち合わせを進める中で、二次募集に向けわれわれは万全の臨戦態勢を整えた。
4月21日、新室長への表敬訪問を兼ねて、二次募集のプレゼンを行うべく上京。
上京メンバーはN本、Y浅、O玉のまち泡トリオと、Tマネージャーであった。
経産省からのアドバイスをもとに、投資額も売り上げ予測も当初計画の7がけ程度に抑え、こだわりのあった建物の立地も修正。
局と本省間のやりとりも、玉ちゃんとの綿密な打ち合わせのもと、S嬢が孤軍奮闘。
今度こそはと気合を入れ直し、本省へと出向くまちあわ四天王であった。
新しい室長は札幌K高出身との事前情報であった。
くどきおとすべき人物が奇しくも同郷のよしみというのはなんとも心強い。
本日が初対面だというのに、こころなしか緊張感も薄い。
本省へと向かう道すがら「なんだか今日は行けそうな気がする~♪」と思わずはやりのフレーズまで飛び出す始末であった。
仕切り直しのプレゼンは前回とは違った空気の中で進行した。
型どおりに挨拶をすませ、協議に入る冒頭、新しい室長から「このたびはいろいろとご苦労様でした。これまでのいきさつも、メンバーから聞いていますし、提出いただいた書類には一通り目を通させていただきました。内容はだいたい把握しているつもりですが、あらためて富良野さんから、ポイントとなる部分、強調したい部分をお話いただければと思います」との話があった。
非常におだやかな表情でもってわれわれに語りかける新室長。(う~む、前回とは雰囲気がかなり違うぞ。)
一次募集の時とは違って、実にフレンドリーなムードが漂う中、計画概要及び見直しポイントについて私とY社長が説明。
工事関係についてはTタウンマネージャーより説明を行う。
30分程度の短いプレゼンが終わると、新任S室長が口を開いた。
「内容はよくわかりました。審査委員会では採算性及び継続性が大きなポイントになります。今回の見直し内容は、安全率を見て経済変動への対応も検討されているし、リニューアル費用も計上され大きく見直しされた案になっていると判断しています。ビジネスを行うのはまちづくり(株)なので、どこまで腹をくくって事業を行うかなんですが、類似例がないような施設は、失敗例がたくさんあるもので、補助金を出す側としても慎重にならざるを得ないことは理解してほしいと思います。5月中旬には募集をかけることになりますが、採択決定に伴う交付申請は7月から8月にずれ込むかもしれないので了解してください。北海道の気候条件から早期発注の期待はあると思いますが、あまりいい話をすると北海道出身だから「えこひいき」とも言われるので、逆にきびしくなってしまうかもしれません(笑)。とにかく時間がかかってしまっていることにはお詫びを申し上げたい。審査委員会で話題となるポイントとしては、いろいろな意見が出るとは思いますが、1つには、集客の仕方、周知の方法。2つには回遊性を高める手法。3つめには視認性をどう高めるか。これらについて申請書に出来る限り表現し書き込んでください。」
う~む、なんとわかりやすく行き届いたアドバイス。
●●が変わるとこうも対応が違ってしまうものなのか。
室長の話が、あくまで事業採択を前提とした内容であることに一同ホッと胸をなでおろす。
あとは提出書類に指摘された部分をしっかり書きこむことだ。
密度の濃い会談は小一時間で終了。
(迷路に迷い込みつつあったマルシェ計画も、これでようやく明かりが見えてきたぞ)
確かな手ごたえをつかんだ一瞬であった。
いやあ、それにしても。
まさかこんなタイミングで人事異動とは・・・・
一次募集で「検討するに値しないと」突き放されてからというもの、何度も会議を開いて綿密に計画の練り直しをしてきたし、下協議も局のS室長補佐の尽力で、かなりしっかりやってきていたので、ひょっとすると前体制下でも事業採択は可能だったのかもしれない。
しかし、かりにそうであったとしても、このなんともはや絶妙なタイミング。
ひょっとするとこの予期せぬ出来事は、愚鈍なまでに直球一辺倒で、真正面から本省と戦ってきたわれらがマルシェ軍団への、神様からのビッグプレゼントだったのかもしれない。
つづく
二次募集認可となると工事にかかれるのは早くて9月。
下手をすると工事は冬場にかかってしまい、外構工事を年度内に終了させることは不可能になってしまう。
いっそ、補助金をあきらめ、自前でやってしまうか。
なにしろ富良野市民の思いがぎっしり詰まった事業なのだ。
目の前にぶら下がっている一億数千万の補助金を蹴ってでも来年春のオープンにはどうしても間に合わせなければならない。これ以上待たせるわけにはいかないのだ。
「会頭、こうなりゃ俺たちにも意地がある。いっそ補助金なし、100%自前の事業としてやるってのはどうだろう?補助金なしだってやっていけるよ、この事業は」
いったいどこからわいてくるんだろう、この変な自信は。
追い込まれたときの人間ってやつは、とんでもないことを平気で言いだすからおそろしい。
が、視野の狭窄に陥り、必要以上に熱くなっているわれわれを尻目に、ひとり冷静な判断を下す男がいた。われらが会頭だ。
「う~ん、確かに自前でも十分成立する事業だと俺も思うよ。でもさ、この計画が経産省に蹴られたとなると、周囲がどんな反応を示すか。「ほら見ろ。あいつらかっこいいこと言ってるけど、結局経産省にけられてしまったべや」って、言いふらされるのが落ちだ。そうなると、せっかく盛り上がったムードに水を差すことになりかねない。工期は確かにしんどいけど、それは地元の土建屋の力でなんとかする。全市的協力を得るにはやはりなんとしても二次募集に応募して経産省の認定を受けなければ」
そうなのだ。マルシェ事業が市民コンセンサスを得、どうにかここまで来れたのも、「内閣府認定」という国のお墨付きあったればこそ。
国が認めようとしない事業を、市民のみなさんに「後押ししてください」とお願いしたところで、まるで説得力がない。
自らの力不足を認めるようで残念だが、「国のお墨付き」という名の印籠が今われわれにはどうしても必要なのだ。
「たしかに冷静に考えると会頭の言う通りかも。よし、じゃあこうなったら1次募集をあきらめて、2次募集にかけよう」
2次募集に応募するとなれば、もうこれ以上議論しているヒマはない。
経産省から指摘されたポイントをしっかり押さえ、しかしわれわれとして譲れないところはしっかり主張して、今度こそ難攻不落のあの室長を口説き落とすのだ。
決意もあらたに計画を練り直し、めざすはいざ経産省と、再度鼻息も荒く仕切り直したわれわれだったがー
3月某日の朝、玉ちゃんから電話が入った。
「N本さん●報です。経産省の室長が4月の人事異動で転勤になるそうです」
じゃーん!じゃじゃじゃじゃーん!(火曜サスペンス風に)予期せぬ出来事第二弾~!
難攻不落だったあの本省の室長が、3月末をもってなんと人事異動になるというのだ。
理論武装によって室長を説得し、あくまで正面突破を図ろうと鼻息も荒く身構えていたわれわれとしてはなんともはや複雑な思い、振り上げたこぶしはいったいどこに向ければいいのか。
いや実際のところ、とっても「むふふ」な気分なのだが、そんな様子はおくびにも出さず、
「いや、 「人間万事塞翁が馬」、説得すべき相手が変わろうと、われわれの信念に変わりはない。また一からやり直しというのは、確かにエネルギーがいるけど、こじれた話を新任の室長と一から議論できるというのはむしろラッキーな話じゃないか」。
しかしまあ、どこまで強がって見せれば気が済むんだ、自分。
(よ~し、これで突破の可能性がグンと高まったぞ)
室長が変わったからといって、この先どう転ぶかもわからないというのに、なんたるこのノー天気ぶり。
すべての物事を自分の都合のいいように解釈する、小生の面目躍如であった。
二次募集となれば失敗は絶対に許されない。これがダメなら自前でやるしかない。われわれは今や崖っぷちに立たされているのだ。
経産省からの指摘を真摯に受け止めつつ、計画内容を大幅に修正、局とも綿密な打ち合わせを進める中で、二次募集に向けわれわれは万全の臨戦態勢を整えた。
4月21日、新室長への表敬訪問を兼ねて、二次募集のプレゼンを行うべく上京。
上京メンバーはN本、Y浅、O玉のまち泡トリオと、Tマネージャーであった。
経産省からのアドバイスをもとに、投資額も売り上げ予測も当初計画の7がけ程度に抑え、こだわりのあった建物の立地も修正。
局と本省間のやりとりも、玉ちゃんとの綿密な打ち合わせのもと、S嬢が孤軍奮闘。
今度こそはと気合を入れ直し、本省へと出向くまちあわ四天王であった。
新しい室長は札幌K高出身との事前情報であった。
くどきおとすべき人物が奇しくも同郷のよしみというのはなんとも心強い。
本日が初対面だというのに、こころなしか緊張感も薄い。
本省へと向かう道すがら「なんだか今日は行けそうな気がする~♪」と思わずはやりのフレーズまで飛び出す始末であった。
仕切り直しのプレゼンは前回とは違った空気の中で進行した。
型どおりに挨拶をすませ、協議に入る冒頭、新しい室長から「このたびはいろいろとご苦労様でした。これまでのいきさつも、メンバーから聞いていますし、提出いただいた書類には一通り目を通させていただきました。内容はだいたい把握しているつもりですが、あらためて富良野さんから、ポイントとなる部分、強調したい部分をお話いただければと思います」との話があった。
非常におだやかな表情でもってわれわれに語りかける新室長。(う~む、前回とは雰囲気がかなり違うぞ。)
一次募集の時とは違って、実にフレンドリーなムードが漂う中、計画概要及び見直しポイントについて私とY社長が説明。
工事関係についてはTタウンマネージャーより説明を行う。
30分程度の短いプレゼンが終わると、新任S室長が口を開いた。
「内容はよくわかりました。審査委員会では採算性及び継続性が大きなポイントになります。今回の見直し内容は、安全率を見て経済変動への対応も検討されているし、リニューアル費用も計上され大きく見直しされた案になっていると判断しています。ビジネスを行うのはまちづくり(株)なので、どこまで腹をくくって事業を行うかなんですが、類似例がないような施設は、失敗例がたくさんあるもので、補助金を出す側としても慎重にならざるを得ないことは理解してほしいと思います。5月中旬には募集をかけることになりますが、採択決定に伴う交付申請は7月から8月にずれ込むかもしれないので了解してください。北海道の気候条件から早期発注の期待はあると思いますが、あまりいい話をすると北海道出身だから「えこひいき」とも言われるので、逆にきびしくなってしまうかもしれません(笑)。とにかく時間がかかってしまっていることにはお詫びを申し上げたい。審査委員会で話題となるポイントとしては、いろいろな意見が出るとは思いますが、1つには、集客の仕方、周知の方法。2つには回遊性を高める手法。3つめには視認性をどう高めるか。これらについて申請書に出来る限り表現し書き込んでください。」
う~む、なんとわかりやすく行き届いたアドバイス。
●●が変わるとこうも対応が違ってしまうものなのか。
室長の話が、あくまで事業採択を前提とした内容であることに一同ホッと胸をなでおろす。
あとは提出書類に指摘された部分をしっかり書きこむことだ。
密度の濃い会談は小一時間で終了。
(迷路に迷い込みつつあったマルシェ計画も、これでようやく明かりが見えてきたぞ)
確かな手ごたえをつかんだ一瞬であった。
いやあ、それにしても。
まさかこんなタイミングで人事異動とは・・・・
一次募集で「検討するに値しないと」突き放されてからというもの、何度も会議を開いて綿密に計画の練り直しをしてきたし、下協議も局のS室長補佐の尽力で、かなりしっかりやってきていたので、ひょっとすると前体制下でも事業採択は可能だったのかもしれない。
しかし、かりにそうであったとしても、このなんともはや絶妙なタイミング。
ひょっとするとこの予期せぬ出来事は、愚鈍なまでに直球一辺倒で、真正面から本省と戦ってきたわれらがマルシェ軍団への、神様からのビッグプレゼントだったのかもしれない。
つづく
第4話 マルシェ事業の再検討 [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
経産省担当室長からの予想外の厳しい指摘を受け、上京後コアメンバーで緊急の会議を開いた。
経産省でのプレゼンでは、省側の見解を聞くことに終始、こちらサイドの意見を述べようにも、計画自体が論外と言われ、とりつく島もない状態であった。
われわれとしては、しっかりプロセスも踏んできたつもりであったし、本計画の遂行にはそれなりの自信もあった。
いったいどこでこうなってしまったのだろう。
室長の話から推測すると、問題点として指摘を受けた内容についての論拠は、どうやらパイロット事業で派遣されてきたコンサルタントからのアドバイスがベースになっているようであった。
いったい何が問題だというのか?
ならばということで、われわれは、今一度経産省やパイロット事業コンサルとのこれまでのやりとりの経緯を整理してみることにした。
【経産省・経産局・コンサルとの協議の経緯】
08.9.9 経産省・内閣府訪問(A会頭・N本・Y浅・O玉)
経産省に出向き、図面にて(築山のある図面)マルシェ計画について説明。フレンドリーなムードの中協議は進んだが、中央に築山を配置することについては賛同が得られず。この件については再度検討する旨を経産省に伝える。面会時間が短かったこともあって事業採算性についての具体的な議論とはならなかった。
9.25 パイロット事業(TMOの支援)の認定を受ける(全国で5市のみの認定)。
本事業は、中心市街地活性化基本計画が、内閣府の認定を受けたところのみを対象とする経産省の支援事業。
計画の実現に向けて、各分野から専門家が派遣され、事業遂行に向けての具体的なアドバイスがいただけるという内容である。
私個人としては、本計画は、すでに実現に向けて順調に進み始めており、屋上屋を架すような事業に参画する必要性は特段感じてはいなかったのだが、マルシェ事業の認定に向けて、ことが少しでも優位に進むならという思いも一方ではあり、すがるような思いで本事業に名乗りをあげたのだった。
11.06 第一回 パイロット事業ヒアリング(ソフトクリエーション T氏、M総研 Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉)
参加者全員でマルシェ立地予定地に出向き、現状と計画内容について現地説明を行う(築山の入った図面で)。
第一回目ということで、顔合わせ程度の打ち合わせと考えていたが、予想に反してシビアな議論となった。(T氏とは1月に支援助言事業で顔合わせしており、その時もまちづくりに対する考え方で激しい議論を戦わしていた)。
コンサルのみなさんには、評論家的立場としてではなく、あくまでわれわれの応援団として協力いただきたい旨を要請。
11.11 中心市街地活性化基本計画 内閣府認定
ヒアリング時のプレゼンが功を奏し、「ルーバン・フラノ構想」が無事内閣府認定となる。
09.1.09 第二回 パイロット事業ヒアリング(T氏、N総合研究所 M氏、Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉・JAふらの)
前回の議論を踏まえ、図面(全体の建物の配置を斜めに訂正、築山をやめ、落差をつけたイベント広場を配置)にてマルシェの計画内容を説明。この時もシビアな議論となった。
建物の配置については駐車場が狭いという点と、マーケティングの甘さを指摘された。
今後どのような支援が受けられるのかという問いに対しては、人材派遣による口頭でのアドバイスにとどまるとの応え。
マーケティング調査での支援も可能とのことだったので、次回事業採算性の判断のベースとなるデータを提出いただくことになった。
JAふらの(T常務・F係長)からヒアリングにおいて「冬季の営業は難しい」と発言があって、これが後にファーマーズマーケットの売上予測1億円につながることになった(現在は周年営業で売り上げ予測2億になっている)。
*この段階で、T氏が第二回の打ち合わせに基づき、1.20に経産省に中間報告。T氏のレポートが、経産省の考え方に大きな影響を及ぼす結果となった。
*このころ北海道経産局と本省の間でも、計画内容についてさかんに議論が交わされていたようだ。
09.01.27 開発局S室長補佐からの提案で経産省へ陳情に(T室長以下7名 S室長補佐・N本・O玉・Tノ内)
築山を配置する計画を取りやめたことを土産話として企画内容の説明にうかがったが、ほとんど議論にはならず、「計画内容を根本から見直さなければ」と室長から指摘される。
具体的な内容としては
①施設を斜めに設置しているのでデッドスペースが多い
②外構費に金がかかりすぎる
③土地利用に汎用性がなく、一般的なストリート店舗設計のセオリーからはずれている
という3点。
本計画においてわれわれの意図するところや、市民とのコンセンサス形成の経緯などをお話し、なんとか理解を得るべく反論を試みるも、この計画では論外、計画内容を再考しなければ補助対象にはできないとのこと。
計画を見直すにあたっては、商業店舗設計の専門家のアドバイスを受けなさいとのことであった。
議論は前述の3つのポイントに終始し、事業採算性に関する協議は行われなかった。
09.02.04 第三回 パイロット事業ヒアリング(Sクリエーション T氏、M総研 Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉)
Sクリエーション・M総研がマルシェ構想の検証データを持参し、来訪者30万人、売上予想4億~4億5000万に見直すべきとのアドバイス。
それに伴いT氏から工事を二期に分ける案のラフ設置図面が提出された。
一期はファーマーズマーケットとスーベニアショップ、カフェ、テイクアウトを本館に一棟にまとめ(建物300坪 敷地面積550坪)、その後様子を見ながら随時建て増ししてゆく内容であった。
(これではまるで道の駅ではないか。われわれが作りたいのは通過型の商業施設ではなく、ゆったりと時間をつぶせる魅力ある滞留拠点なのだ)
この段階では、事業採算性については予測が甘いものの、おおむねなんとかいけるのではないかというM橋氏からの助言があった。
議論を進めてゆくなかで、どうやら本省の意見は、T氏からの検証データに基づくものであることが明確になってきた。
T氏のレポートが本省の判断材料になっていたのだ。
われわれが「応援団」として期待していたパイロット事業のコンサルの面々は、応援団というよりはむしろ評論家として機能していたことになる。
我々サイドとパイロット事業のコンサルの面々との協議が成熟しないうちに、T氏からデータが渡ってしまったことの影響が大きかったのではと、うらみ交じりにT氏に言及するも、「我々は客観的データを経産省に提出するのが役割で、責任を問われる筋合いではない」との話であった。
09.02.21 指摘を受けた問題点について検証
コアメンバー会議で、経産省から指摘を受けた問題点について一つ一つ検証しながら反論(理論構築)を試みる(来訪者30万人、下振れ売上4億を含めて)。
書類にしたものを北海道経産局を通して本省に上げていただくよう依頼することにした。
09.02.23 経産局に出向き事情説明
N本・Y浅・O玉で局へ出向き、これまでの経緯と、我々サイドの考え方を説明する。
議論のプロセスに加わってきたので、局としては理解できる面もあるが、本省はあくまで計画内容を根本的に見直さない限り、応募書類は受け付けないスタンスとの答えであった。
この後本省から局を通して、経済環境の下振れも見込み「売上予想は当初の4億円から2億5000万円ぐらいではないか」「建物・投資額も売り上げ予測に見合った金額に見直すべきでは。」との意見が出てきた。
われわれは、こうした経産省からの指導を受けて、こちらサイドの考え方の理解を得るべく、現計画の妥当性についての理論構築を行った。
内容は以下の通りであった。
<フラノ・マルシェ事業の再検討について>
・集客予測は40~80万人を想定しているが、計画では30万人
・施設規模は妥当と判断
●集客予測の根拠は「ニセコ」と「富良野チーズ工房」
【ニセコを集客予測の根拠とした理由】
・施設のコンセプトと規模が類似していること
・道内有数の観光地であり、国道沿いに立地しているという共通点
【富良野チーズ工房を集客予測の根拠とした理由】
・「食」をテーマとした施設で、施設面積がほぼ同等であること
・顧客ターゲットもマルシェと類似していること
パイロット事業報告書では地元住民の年間10万人と観光客20万人、あわせて30万人の集客は可能と報告(P21参照)され、最大で30万人との表現になっています。
しかしながら本計画では、集客予測を立てるにあたって、ベンチマークとして、施設のコンセプト・立地条件や、ともに道内有数の観光地である点など「フラノ・マルシェ」と共通点の多い「ニセコ」を参考にしています。
開設5年にして72万人の集客数を誇るニセコの観光入込数や商圏人口を比べますと、観光客は富良野の200万人に対してニセコは150万人、30分圏内の商圏人口は富良野の38000人に対してニセコは28000人と、いずれも富良野の方がニセコより優位に立っていますし、さらには「フラノ・マルシェ」が国道38号線の沿道で、しかも中心市街地に立地しているという良好な立地条件にあって、報告書通り地元住民の入込を10万人想定すると、40万人~50万人を想定することにはかなり妥当性が高いものと判断しております(ただし計画書では30万人に抑えています)。
また、報告書の集客計算(P7)においては、富良野における施設の機能や立地条件などを考慮した評価ではなく、単に各施設集客数の平均値を採用し、観光客は20万人と予測されています。
しかしながら、「北の国から資料館」「五郎の石の家」「拾ってきた家」などは、いわゆる「北の国から」ファンという特定の人々をターゲットとしており、また「ワインハウス」なども限られた人々をターゲットにしていることを考えると、これらのベンチマークを単純平均して集客予想を20万人と想定するのは少々おおまかに括りすぎた予測と考えます。
集客予測としては、市民・観光客や老若男女あらゆる人々をターゲットとする意味で「フラノ・マルシェ」の類似施設である「富良野チーズ工房」の年間30万人をベースに考えることが妥当であると考えます。
以上のことから年間30万人の集客予測は採算性を十分熟慮し安全性を見込んだ数値と判断し、けっして過大な数値とは考えておりませんし、各施設利用者数も最大の野菜直売所で20万人、その他施設は4~5万人の利用見込みと抑制した計画と考えております。
また、集客見込み数が、将来において下回ることを想定し、施設規模、特に売場面積を減少させることは、現計画の収益そのものも減少させることにつながっていくのではないかと考えます。
施設の配置も、まちなか滞留拠点としての機能と景観に配慮して作成したもので、郊外型の凡庸な施設と配置では「魅力的滞留施設」としての根本が崩れて「道の駅」的な「通過型施設」となってしまい、マルシェを起点として「まちなか回遊につなげるというもっとも大切な機能」が失われてしまうものと考えます。
富良野のような自然景観や癒しを感じさせる観光地では、集客施設はいかに「施設の機能性と景観」とを相乗効果としてお客様に提供できるかが成功条件と考えています。
そのような観点から、認められた中活の基本計画においても妥当な施設規模と判断しており、建設費についても妥当なものであると考えているところです。
加えて、今回の計画では市有地を非常に安価に借りられる点、また今後マルシェを起爆剤として、「中心市街地の面的な活性化」を図る意味からも、市街地隣接型の大型スーパーマーケット施設計画のような商業施設計画とはちがったコンセプトとミッションをもつものであると考えます。
以上の観点から、コンセプトは変えないという前提の下、計画内容を以下のように下方修正した。
<計画内容の変更>
・施設を4棟から3棟に減らす(建物の配置図も見直す→3案)
*ただしファーマーズ・マーケット、スーベニアショップ、スイーツ・カフェ、テイクアウトショップの4つのファクターは削らず、三棟に収める。
・事業費を4億円から3億円に落とす
・売り上げ予測6億円を4億円に落とす(ファーマーズ・マーケット1億、スーベニアショップ1億2000万、スイーツ・カフェ3000万、テイクアウトショップ4000万)
・駐車台数の増加 79台→93台
経済環境の下振れによる、本省からの指摘も理解できないわけではなかったが、売上2億5000万円では、そもそもまちづくり会社の経営が成り立たない。コンサルのすすめる案では「道の駅」となってしまい、まちなかの魅力ある「滞留拠点」というコンセプトが崩れてしまう。
コンセプトを変えずに、事業計画をぎりぎりまで絞り込んだ結果出てきた答えがこれだった。
ここまで妥協して計画が通らないのなら、マルシェ事業はやる意味がない。
これでダメなら、補助はあきらめよう。その気になれば補助金に頼らず自前だってやれるじゃないか。
開き直ると人間ってのは強い。こわいものなしだ。
つづく
経産省でのプレゼンでは、省側の見解を聞くことに終始、こちらサイドの意見を述べようにも、計画自体が論外と言われ、とりつく島もない状態であった。
われわれとしては、しっかりプロセスも踏んできたつもりであったし、本計画の遂行にはそれなりの自信もあった。
いったいどこでこうなってしまったのだろう。
室長の話から推測すると、問題点として指摘を受けた内容についての論拠は、どうやらパイロット事業で派遣されてきたコンサルタントからのアドバイスがベースになっているようであった。
いったい何が問題だというのか?
ならばということで、われわれは、今一度経産省やパイロット事業コンサルとのこれまでのやりとりの経緯を整理してみることにした。
【経産省・経産局・コンサルとの協議の経緯】
08.9.9 経産省・内閣府訪問(A会頭・N本・Y浅・O玉)
経産省に出向き、図面にて(築山のある図面)マルシェ計画について説明。フレンドリーなムードの中協議は進んだが、中央に築山を配置することについては賛同が得られず。この件については再度検討する旨を経産省に伝える。面会時間が短かったこともあって事業採算性についての具体的な議論とはならなかった。
9.25 パイロット事業(TMOの支援)の認定を受ける(全国で5市のみの認定)。
本事業は、中心市街地活性化基本計画が、内閣府の認定を受けたところのみを対象とする経産省の支援事業。
計画の実現に向けて、各分野から専門家が派遣され、事業遂行に向けての具体的なアドバイスがいただけるという内容である。
私個人としては、本計画は、すでに実現に向けて順調に進み始めており、屋上屋を架すような事業に参画する必要性は特段感じてはいなかったのだが、マルシェ事業の認定に向けて、ことが少しでも優位に進むならという思いも一方ではあり、すがるような思いで本事業に名乗りをあげたのだった。
11.06 第一回 パイロット事業ヒアリング(ソフトクリエーション T氏、M総研 Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉)
参加者全員でマルシェ立地予定地に出向き、現状と計画内容について現地説明を行う(築山の入った図面で)。
第一回目ということで、顔合わせ程度の打ち合わせと考えていたが、予想に反してシビアな議論となった。(T氏とは1月に支援助言事業で顔合わせしており、その時もまちづくりに対する考え方で激しい議論を戦わしていた)。
コンサルのみなさんには、評論家的立場としてではなく、あくまでわれわれの応援団として協力いただきたい旨を要請。
11.11 中心市街地活性化基本計画 内閣府認定
ヒアリング時のプレゼンが功を奏し、「ルーバン・フラノ構想」が無事内閣府認定となる。
09.1.09 第二回 パイロット事業ヒアリング(T氏、N総合研究所 M氏、Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉・JAふらの)
前回の議論を踏まえ、図面(全体の建物の配置を斜めに訂正、築山をやめ、落差をつけたイベント広場を配置)にてマルシェの計画内容を説明。この時もシビアな議論となった。
建物の配置については駐車場が狭いという点と、マーケティングの甘さを指摘された。
今後どのような支援が受けられるのかという問いに対しては、人材派遣による口頭でのアドバイスにとどまるとの応え。
マーケティング調査での支援も可能とのことだったので、次回事業採算性の判断のベースとなるデータを提出いただくことになった。
JAふらの(T常務・F係長)からヒアリングにおいて「冬季の営業は難しい」と発言があって、これが後にファーマーズマーケットの売上予測1億円につながることになった(現在は周年営業で売り上げ予測2億になっている)。
*この段階で、T氏が第二回の打ち合わせに基づき、1.20に経産省に中間報告。T氏のレポートが、経産省の考え方に大きな影響を及ぼす結果となった。
*このころ北海道経産局と本省の間でも、計画内容についてさかんに議論が交わされていたようだ。
09.01.27 開発局S室長補佐からの提案で経産省へ陳情に(T室長以下7名 S室長補佐・N本・O玉・Tノ内)
築山を配置する計画を取りやめたことを土産話として企画内容の説明にうかがったが、ほとんど議論にはならず、「計画内容を根本から見直さなければ」と室長から指摘される。
具体的な内容としては
①施設を斜めに設置しているのでデッドスペースが多い
②外構費に金がかかりすぎる
③土地利用に汎用性がなく、一般的なストリート店舗設計のセオリーからはずれている
という3点。
本計画においてわれわれの意図するところや、市民とのコンセンサス形成の経緯などをお話し、なんとか理解を得るべく反論を試みるも、この計画では論外、計画内容を再考しなければ補助対象にはできないとのこと。
計画を見直すにあたっては、商業店舗設計の専門家のアドバイスを受けなさいとのことであった。
議論は前述の3つのポイントに終始し、事業採算性に関する協議は行われなかった。
09.02.04 第三回 パイロット事業ヒアリング(Sクリエーション T氏、M総研 Y氏・A会頭・S専務・N本・Y浅・O玉)
Sクリエーション・M総研がマルシェ構想の検証データを持参し、来訪者30万人、売上予想4億~4億5000万に見直すべきとのアドバイス。
それに伴いT氏から工事を二期に分ける案のラフ設置図面が提出された。
一期はファーマーズマーケットとスーベニアショップ、カフェ、テイクアウトを本館に一棟にまとめ(建物300坪 敷地面積550坪)、その後様子を見ながら随時建て増ししてゆく内容であった。
(これではまるで道の駅ではないか。われわれが作りたいのは通過型の商業施設ではなく、ゆったりと時間をつぶせる魅力ある滞留拠点なのだ)
この段階では、事業採算性については予測が甘いものの、おおむねなんとかいけるのではないかというM橋氏からの助言があった。
議論を進めてゆくなかで、どうやら本省の意見は、T氏からの検証データに基づくものであることが明確になってきた。
T氏のレポートが本省の判断材料になっていたのだ。
われわれが「応援団」として期待していたパイロット事業のコンサルの面々は、応援団というよりはむしろ評論家として機能していたことになる。
我々サイドとパイロット事業のコンサルの面々との協議が成熟しないうちに、T氏からデータが渡ってしまったことの影響が大きかったのではと、うらみ交じりにT氏に言及するも、「我々は客観的データを経産省に提出するのが役割で、責任を問われる筋合いではない」との話であった。
09.02.21 指摘を受けた問題点について検証
コアメンバー会議で、経産省から指摘を受けた問題点について一つ一つ検証しながら反論(理論構築)を試みる(来訪者30万人、下振れ売上4億を含めて)。
書類にしたものを北海道経産局を通して本省に上げていただくよう依頼することにした。
09.02.23 経産局に出向き事情説明
N本・Y浅・O玉で局へ出向き、これまでの経緯と、我々サイドの考え方を説明する。
議論のプロセスに加わってきたので、局としては理解できる面もあるが、本省はあくまで計画内容を根本的に見直さない限り、応募書類は受け付けないスタンスとの答えであった。
この後本省から局を通して、経済環境の下振れも見込み「売上予想は当初の4億円から2億5000万円ぐらいではないか」「建物・投資額も売り上げ予測に見合った金額に見直すべきでは。」との意見が出てきた。
われわれは、こうした経産省からの指導を受けて、こちらサイドの考え方の理解を得るべく、現計画の妥当性についての理論構築を行った。
内容は以下の通りであった。
<フラノ・マルシェ事業の再検討について>
・集客予測は40~80万人を想定しているが、計画では30万人
・施設規模は妥当と判断
●集客予測の根拠は「ニセコ」と「富良野チーズ工房」
【ニセコを集客予測の根拠とした理由】
・施設のコンセプトと規模が類似していること
・道内有数の観光地であり、国道沿いに立地しているという共通点
【富良野チーズ工房を集客予測の根拠とした理由】
・「食」をテーマとした施設で、施設面積がほぼ同等であること
・顧客ターゲットもマルシェと類似していること
パイロット事業報告書では地元住民の年間10万人と観光客20万人、あわせて30万人の集客は可能と報告(P21参照)され、最大で30万人との表現になっています。
しかしながら本計画では、集客予測を立てるにあたって、ベンチマークとして、施設のコンセプト・立地条件や、ともに道内有数の観光地である点など「フラノ・マルシェ」と共通点の多い「ニセコ」を参考にしています。
開設5年にして72万人の集客数を誇るニセコの観光入込数や商圏人口を比べますと、観光客は富良野の200万人に対してニセコは150万人、30分圏内の商圏人口は富良野の38000人に対してニセコは28000人と、いずれも富良野の方がニセコより優位に立っていますし、さらには「フラノ・マルシェ」が国道38号線の沿道で、しかも中心市街地に立地しているという良好な立地条件にあって、報告書通り地元住民の入込を10万人想定すると、40万人~50万人を想定することにはかなり妥当性が高いものと判断しております(ただし計画書では30万人に抑えています)。
また、報告書の集客計算(P7)においては、富良野における施設の機能や立地条件などを考慮した評価ではなく、単に各施設集客数の平均値を採用し、観光客は20万人と予測されています。
しかしながら、「北の国から資料館」「五郎の石の家」「拾ってきた家」などは、いわゆる「北の国から」ファンという特定の人々をターゲットとしており、また「ワインハウス」なども限られた人々をターゲットにしていることを考えると、これらのベンチマークを単純平均して集客予想を20万人と想定するのは少々おおまかに括りすぎた予測と考えます。
集客予測としては、市民・観光客や老若男女あらゆる人々をターゲットとする意味で「フラノ・マルシェ」の類似施設である「富良野チーズ工房」の年間30万人をベースに考えることが妥当であると考えます。
以上のことから年間30万人の集客予測は採算性を十分熟慮し安全性を見込んだ数値と判断し、けっして過大な数値とは考えておりませんし、各施設利用者数も最大の野菜直売所で20万人、その他施設は4~5万人の利用見込みと抑制した計画と考えております。
また、集客見込み数が、将来において下回ることを想定し、施設規模、特に売場面積を減少させることは、現計画の収益そのものも減少させることにつながっていくのではないかと考えます。
施設の配置も、まちなか滞留拠点としての機能と景観に配慮して作成したもので、郊外型の凡庸な施設と配置では「魅力的滞留施設」としての根本が崩れて「道の駅」的な「通過型施設」となってしまい、マルシェを起点として「まちなか回遊につなげるというもっとも大切な機能」が失われてしまうものと考えます。
富良野のような自然景観や癒しを感じさせる観光地では、集客施設はいかに「施設の機能性と景観」とを相乗効果としてお客様に提供できるかが成功条件と考えています。
そのような観点から、認められた中活の基本計画においても妥当な施設規模と判断しており、建設費についても妥当なものであると考えているところです。
加えて、今回の計画では市有地を非常に安価に借りられる点、また今後マルシェを起爆剤として、「中心市街地の面的な活性化」を図る意味からも、市街地隣接型の大型スーパーマーケット施設計画のような商業施設計画とはちがったコンセプトとミッションをもつものであると考えます。
以上の観点から、コンセプトは変えないという前提の下、計画内容を以下のように下方修正した。
<計画内容の変更>
・施設を4棟から3棟に減らす(建物の配置図も見直す→3案)
*ただしファーマーズ・マーケット、スーベニアショップ、スイーツ・カフェ、テイクアウトショップの4つのファクターは削らず、三棟に収める。
・事業費を4億円から3億円に落とす
・売り上げ予測6億円を4億円に落とす(ファーマーズ・マーケット1億、スーベニアショップ1億2000万、スイーツ・カフェ3000万、テイクアウトショップ4000万)
・駐車台数の増加 79台→93台
経済環境の下振れによる、本省からの指摘も理解できないわけではなかったが、売上2億5000万円では、そもそもまちづくり会社の経営が成り立たない。コンサルのすすめる案では「道の駅」となってしまい、まちなかの魅力ある「滞留拠点」というコンセプトが崩れてしまう。
コンセプトを変えずに、事業計画をぎりぎりまで絞り込んだ結果出てきた答えがこれだった。
ここまで妥協して計画が通らないのなら、マルシェ事業はやる意味がない。
これでダメなら、補助はあきらめよう。その気になれば補助金に頼らず自前だってやれるじゃないか。
開き直ると人間ってのは強い。こわいものなしだ。
つづく
第三話 予期せぬ出来事 [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
「フラノ・マルシェ」建設の目的は「まちのにぎわいの復活」にある。
観光地富良野には、毎年200万人を超える観光客が訪れている。
しかし、まちなかには駅前の「北の国から資料館」以外、これといった観光客向けの施設もなく、駅前では年間わずか8万人が訪れるだけなのだ。
どこのまちもそうであるように、富良野もまた少子高齢化と無縁ではない。
このまま放っておけば、まちの人口の自然減は避けられず、現在2万5千人いる人口も、近い将来2万人を割ることは間違いない。
市がなにもせず、このまま無策を続ければ、商店街の存続はおろか地域コミュニティを維持することすら困難になるに違いない。
まちの顔たる中心市街地の崩壊は、そのまま「まちの崩壊」につながりかねないのだ。
「フラノ・マルシェ」はこのような中心市街地が抱える問題解決に向けての起爆剤として意味をもつ。
目的はずばり消費人口のパイの拡大である。
「貧すれば鈍す」のたとえではないが、まちの元気は経済の活性化と不可分だ。
どう格好つけたところで、まちなかの商店や飲食店がもうからなければ、まちは活気づかないのだ。
「フラノ・マルシェ」は200万人の観光客、300万人の交流人口を、まちなか経済の活性化に結びつけるための「しかけ空間」だ。
これまで観光客がまちなかに訪れなかったのは、訪れるだけの魅力ある施設や空間を作ってこなかったからではないのか。
実際、富良野には「くまげら」「三日月」「唯我独尊」「フラノデリス」「ラーメン支那虎」など、マスメディアに乗り、全国区となった飲食店が少なからず存在する。
彼らの共通点は、地元民のみならず観光客をもターゲットとしてしたたかに取り込み、地元民のみを対象にしていてはとうていかなわない大きな売上利潤を上げていることだ。
富良野のパワーを結集し、富良野らしさに富んだ「魅力ある滞留拠点」を作ろう。
地域センター病院の移転によって、国道沿いの一等地が空き地となった。ここは将来高規格道路の出入り口にもなる。
ブランドイメージの高い農畜産物や、全国区の知名度を誇る飲食店、ワイン・チーズに代表されるハイクオリティの加工食品群、そしてただいまブームまっただ中のフラノスイーツ。
これら富良野の食文化の魅力を生かして、観光客や交流人口をまちなかにひきつける。
集まってきた人々に、映像や活字情報を通して、まちなかの魅力をしっかり伝え、まちなか回遊へと結びつける。
まちににぎわいが生まれる。まちなかが活気づく。
「道の駅」ではだめだ。「道の駅」では通過型観光となってしまい、まちなか回遊には結びつかない。
カフェでゆったりと時間をつぶすなかで、情報のインプットが可能となる。映像、活字によるまちなか情報の提供は、ゆったりくつろげる、日常を忘れさせる異空間であってはじめて可能になる。
マルシェの真ん中にあるイベント広場をうまく活用させよう。
マルシェに行けばいつも何か新しいものが発見できる。
フリーマーケット、ミニ野外コンサート、屋台etc.etc
そんな考え方をもとにデザイナーのH氏に設計を依頼、出てきた案が以下の図面だった。

建物は4棟。その横におよそ100台の駐車場スペース。
ファーマーズマーケット、スーベニアショップ、スイーツカフェ、テイクアウトショップの4つのファクターを広場を囲い込むように配置。各棟は雨天でも回遊できるように4棟を庇でつないでいる。
内部のにぎわいが透けて見えるように、建物をあえて斜めに配置することで内部に視認性をもたせた。
「中がにぎやかそうだけど、何をやっているんだろう?」と行き交う人々に興味をもたせる。
「天の岩戸方式」だ。
五条通りと国道38号線の交差するところは、まちの出入り口でもあり、将来まちの顔の部分になるので、富良野らしくランドマーク的に緑をふんだんに盛り込む。
地元民、商業者、観光客でにぎわう富良野ではじめてのまちなか滞留拠点。
今日はこのアイデアをもって、われわれの意図するところと、思いをしっかり伝え、経産省を納得させるのだ。
2月27日、午前10時、新橋のホテルでS室長補佐と待ち合わせし、徒歩で霞が関へと向かう。
S女史の顔つきがことのほか厳しい。
何か心に期するものがあるのだろうか。
「Sさん、本省の室長ってどんな感じの人なんですか?」
「う~ん、なかなか厳しい人ですよ」
聞けば、省と局との間で、この件についていろいろやり取りをしてきたが、現状の計画では通りそうもないのだという。
「いったい何が問題なのでしょうかね?」
「会って話せばわかると思います」
どうも会話がいつものようにははずまない。
一抹の不安が脳裏をよぎる。
(出たとこ勝負ってとこか。まあ、会って話せばなんとかなるさ)
10分ほどで、霞が関に到着、経産省へと向かう。
担当者6名が大挙してわれわれを迎え入れてくれた。
前回上京の折、お会いしたメンバーもおり、フレンドリーな雰囲気の中で名刺交換を終えると、挨拶もそこそこに、私が口火を切った。
「前回お話させていただいた場で、ご指摘のあった「築山」につきましては、その後われわれもいろいろと議論しまして、結果的には逆転の発想で、段差をつけて中央部を逆にへこませ、イベント広場として活用することにしました。ただし、冬は雪をここに集めるので、結果的に冬は「築山」になります(笑)」
前回議論の的となった部分を、みなさんのご意見に沿って「改善」させていただきましたよ、ということをまずはお土産話としてお伝えし、議論を和気あいあいとした雰囲気に持って行こうというわれわれなりの作戦であった。
が、しかし、そんなわれらの思惑をよそに、室長からは予想もしなかったきびしい発言が飛び出す。
「いや、問題は「築山」だけじゃないんです。計画内容を根本的に見直さない限り、この計画を採択するわけにはいきません。」
冒頭から厳しい口調でこう切り出す室長に、
(ん?いったい何が起こってるんだ???)と、ただ呆然とするばかりのわれわれ。
「え~と、いったいどいうことなんでしょう?われわれの計画のどこが問題なのでしょうか?」
動揺する気持ちを抑え、冷静さを装いつつ質問する私に、少々顔を紅潮させながら、この計画の問題点について語り始める室長。
指摘のポイントは以下の三点であった。
①建物を敷地に対して斜めに配置するという、セオリーを無視した土地利用のためデッドスペースが多く、無駄が多い。
②外構や植栽にもお金をかけすぎる
③4棟で囲いこむような建物の配置なので、今後外に向かって拡張させていく余地が担保されていない。
われわれとしては、法定協議会の専門部会を通して、おおいなる議論を重ね、やっとコンセンサスの得られた計画内容である。
指摘のポイントについても、十分議論を重ね、われわれなりの意図があってやっていること。今更これを白紙に戻すというわけにはいかない。
国が「民間活力で」というのならば、こうした議論のプロセスと地域の個性・特殊性を最大限尊重し、それを後押ししてくれるのが補助金制度というものではないのか。
この事業の実施主体となるのはわれわれまちづくり会社だ。すなわち、この事業のリスクと責任はわれわれまちづくり会社が負うのだ。
そのあたりをなんとか理解していただきたいと必死の思いで語る小生、S女史、玉ちゃん、タケちゃんの面々。
「これは我々にとっても投資なんですよ」
と室長が再び語りはじめる。
「他地域に応用できるような成功事例を作らなければならないんです。富良野さんにしかできない計画ではなく、他のモデルとなるような、汎用性の広い計画でなければ、われわれが投資する意味はないんです。そういう意味で、この計画内容は論外、大幅に見直さなければ検討するに値しません」
10月の世界恐慌以降、日本の経済情勢も大きく下振れしている。経済環境が変わった以上、計画内容も下振れを見込んだものに見直さなければならない状況であることは理解できる。
しかし、これまでさんざん市民と議論を重ね、コンセンサス形成を図ってきた「フラノ・マルシェ」のコンセプトを今更変えるわけにはいかない。
すべては、まちなか経済の活性化に寄与するために必要なファクターなのだから、これらどのひとつも削ることはできないのだ。
そして何より、この一次募集で採択されなければ、工事は冬場にかかってしまい、来春のオープンさえ怪しくなってしまう。われわれには時間もないのだ。
「室長、ではわれわれはいったいどうすればいいんでしょう?」
八方ふさがりの状態となってしまったわたしには、開き直りの境地で、こう問いかけるしか仕方がなかった。
「どうするかと言われても私にはわかりません。それは富良野さんで考えて下さい。とにかく、現状の計画ではダメです。商業店舗設計の専門家に相談してください。私は別件があるので、ちょっと失礼します」
室長はそういって席を立つとそそくさと会議の場から去ってしまった。
どんよりと淀んだ空気が周囲に流れる。
この間われわれのやりとりに口をはさむことなく、その成り行きをじっと見守っていた、本省の同席メンバーがわれわれに気を使っているのか、慰めに似た表情で語りかけてくる。
玉ちゃんと本省メンバーが中心となり再び議論が始まった。
空気が少し軽くなった感じはしたが、小生はと言えば、この後帰ってからやらなければならない作業のことを考えると、なんとも重たいものがどーんと肩に乗っかり、ただ呆然とその場のやりとりを聞き流すばかりであった。
その後しばらくして室長が戻った。
再び重たい空気があたりを支配する。
われわれとしても、今日はこれ以上の議論は無理と考え、とにかく計画内容を早急に見直してみる旨を室長に伝え、この日の会議は終了となった。
つづく
観光地富良野には、毎年200万人を超える観光客が訪れている。
しかし、まちなかには駅前の「北の国から資料館」以外、これといった観光客向けの施設もなく、駅前では年間わずか8万人が訪れるだけなのだ。
どこのまちもそうであるように、富良野もまた少子高齢化と無縁ではない。
このまま放っておけば、まちの人口の自然減は避けられず、現在2万5千人いる人口も、近い将来2万人を割ることは間違いない。
市がなにもせず、このまま無策を続ければ、商店街の存続はおろか地域コミュニティを維持することすら困難になるに違いない。
まちの顔たる中心市街地の崩壊は、そのまま「まちの崩壊」につながりかねないのだ。
「フラノ・マルシェ」はこのような中心市街地が抱える問題解決に向けての起爆剤として意味をもつ。
目的はずばり消費人口のパイの拡大である。
「貧すれば鈍す」のたとえではないが、まちの元気は経済の活性化と不可分だ。
どう格好つけたところで、まちなかの商店や飲食店がもうからなければ、まちは活気づかないのだ。
「フラノ・マルシェ」は200万人の観光客、300万人の交流人口を、まちなか経済の活性化に結びつけるための「しかけ空間」だ。
これまで観光客がまちなかに訪れなかったのは、訪れるだけの魅力ある施設や空間を作ってこなかったからではないのか。
実際、富良野には「くまげら」「三日月」「唯我独尊」「フラノデリス」「ラーメン支那虎」など、マスメディアに乗り、全国区となった飲食店が少なからず存在する。
彼らの共通点は、地元民のみならず観光客をもターゲットとしてしたたかに取り込み、地元民のみを対象にしていてはとうていかなわない大きな売上利潤を上げていることだ。
富良野のパワーを結集し、富良野らしさに富んだ「魅力ある滞留拠点」を作ろう。
地域センター病院の移転によって、国道沿いの一等地が空き地となった。ここは将来高規格道路の出入り口にもなる。
ブランドイメージの高い農畜産物や、全国区の知名度を誇る飲食店、ワイン・チーズに代表されるハイクオリティの加工食品群、そしてただいまブームまっただ中のフラノスイーツ。
これら富良野の食文化の魅力を生かして、観光客や交流人口をまちなかにひきつける。
集まってきた人々に、映像や活字情報を通して、まちなかの魅力をしっかり伝え、まちなか回遊へと結びつける。
まちににぎわいが生まれる。まちなかが活気づく。
「道の駅」ではだめだ。「道の駅」では通過型観光となってしまい、まちなか回遊には結びつかない。
カフェでゆったりと時間をつぶすなかで、情報のインプットが可能となる。映像、活字によるまちなか情報の提供は、ゆったりくつろげる、日常を忘れさせる異空間であってはじめて可能になる。
マルシェの真ん中にあるイベント広場をうまく活用させよう。
マルシェに行けばいつも何か新しいものが発見できる。
フリーマーケット、ミニ野外コンサート、屋台etc.etc
そんな考え方をもとにデザイナーのH氏に設計を依頼、出てきた案が以下の図面だった。

建物は4棟。その横におよそ100台の駐車場スペース。
ファーマーズマーケット、スーベニアショップ、スイーツカフェ、テイクアウトショップの4つのファクターを広場を囲い込むように配置。各棟は雨天でも回遊できるように4棟を庇でつないでいる。
内部のにぎわいが透けて見えるように、建物をあえて斜めに配置することで内部に視認性をもたせた。
「中がにぎやかそうだけど、何をやっているんだろう?」と行き交う人々に興味をもたせる。
「天の岩戸方式」だ。
五条通りと国道38号線の交差するところは、まちの出入り口でもあり、将来まちの顔の部分になるので、富良野らしくランドマーク的に緑をふんだんに盛り込む。
地元民、商業者、観光客でにぎわう富良野ではじめてのまちなか滞留拠点。
今日はこのアイデアをもって、われわれの意図するところと、思いをしっかり伝え、経産省を納得させるのだ。
2月27日、午前10時、新橋のホテルでS室長補佐と待ち合わせし、徒歩で霞が関へと向かう。
S女史の顔つきがことのほか厳しい。
何か心に期するものがあるのだろうか。
「Sさん、本省の室長ってどんな感じの人なんですか?」
「う~ん、なかなか厳しい人ですよ」
聞けば、省と局との間で、この件についていろいろやり取りをしてきたが、現状の計画では通りそうもないのだという。
「いったい何が問題なのでしょうかね?」
「会って話せばわかると思います」
どうも会話がいつものようにははずまない。
一抹の不安が脳裏をよぎる。
(出たとこ勝負ってとこか。まあ、会って話せばなんとかなるさ)
10分ほどで、霞が関に到着、経産省へと向かう。
担当者6名が大挙してわれわれを迎え入れてくれた。
前回上京の折、お会いしたメンバーもおり、フレンドリーな雰囲気の中で名刺交換を終えると、挨拶もそこそこに、私が口火を切った。
「前回お話させていただいた場で、ご指摘のあった「築山」につきましては、その後われわれもいろいろと議論しまして、結果的には逆転の発想で、段差をつけて中央部を逆にへこませ、イベント広場として活用することにしました。ただし、冬は雪をここに集めるので、結果的に冬は「築山」になります(笑)」
前回議論の的となった部分を、みなさんのご意見に沿って「改善」させていただきましたよ、ということをまずはお土産話としてお伝えし、議論を和気あいあいとした雰囲気に持って行こうというわれわれなりの作戦であった。
が、しかし、そんなわれらの思惑をよそに、室長からは予想もしなかったきびしい発言が飛び出す。
「いや、問題は「築山」だけじゃないんです。計画内容を根本的に見直さない限り、この計画を採択するわけにはいきません。」
冒頭から厳しい口調でこう切り出す室長に、
(ん?いったい何が起こってるんだ???)と、ただ呆然とするばかりのわれわれ。
「え~と、いったいどいうことなんでしょう?われわれの計画のどこが問題なのでしょうか?」
動揺する気持ちを抑え、冷静さを装いつつ質問する私に、少々顔を紅潮させながら、この計画の問題点について語り始める室長。
指摘のポイントは以下の三点であった。
①建物を敷地に対して斜めに配置するという、セオリーを無視した土地利用のためデッドスペースが多く、無駄が多い。
②外構や植栽にもお金をかけすぎる
③4棟で囲いこむような建物の配置なので、今後外に向かって拡張させていく余地が担保されていない。
われわれとしては、法定協議会の専門部会を通して、おおいなる議論を重ね、やっとコンセンサスの得られた計画内容である。
指摘のポイントについても、十分議論を重ね、われわれなりの意図があってやっていること。今更これを白紙に戻すというわけにはいかない。
国が「民間活力で」というのならば、こうした議論のプロセスと地域の個性・特殊性を最大限尊重し、それを後押ししてくれるのが補助金制度というものではないのか。
この事業の実施主体となるのはわれわれまちづくり会社だ。すなわち、この事業のリスクと責任はわれわれまちづくり会社が負うのだ。
そのあたりをなんとか理解していただきたいと必死の思いで語る小生、S女史、玉ちゃん、タケちゃんの面々。
「これは我々にとっても投資なんですよ」
と室長が再び語りはじめる。
「他地域に応用できるような成功事例を作らなければならないんです。富良野さんにしかできない計画ではなく、他のモデルとなるような、汎用性の広い計画でなければ、われわれが投資する意味はないんです。そういう意味で、この計画内容は論外、大幅に見直さなければ検討するに値しません」
10月の世界恐慌以降、日本の経済情勢も大きく下振れしている。経済環境が変わった以上、計画内容も下振れを見込んだものに見直さなければならない状況であることは理解できる。
しかし、これまでさんざん市民と議論を重ね、コンセンサス形成を図ってきた「フラノ・マルシェ」のコンセプトを今更変えるわけにはいかない。
すべては、まちなか経済の活性化に寄与するために必要なファクターなのだから、これらどのひとつも削ることはできないのだ。
そして何より、この一次募集で採択されなければ、工事は冬場にかかってしまい、来春のオープンさえ怪しくなってしまう。われわれには時間もないのだ。
「室長、ではわれわれはいったいどうすればいいんでしょう?」
八方ふさがりの状態となってしまったわたしには、開き直りの境地で、こう問いかけるしか仕方がなかった。
「どうするかと言われても私にはわかりません。それは富良野さんで考えて下さい。とにかく、現状の計画ではダメです。商業店舗設計の専門家に相談してください。私は別件があるので、ちょっと失礼します」
室長はそういって席を立つとそそくさと会議の場から去ってしまった。
どんよりと淀んだ空気が周囲に流れる。
この間われわれのやりとりに口をはさむことなく、その成り行きをじっと見守っていた、本省の同席メンバーがわれわれに気を使っているのか、慰めに似た表情で語りかけてくる。
玉ちゃんと本省メンバーが中心となり再び議論が始まった。
空気が少し軽くなった感じはしたが、小生はと言えば、この後帰ってからやらなければならない作業のことを考えると、なんとも重たいものがどーんと肩に乗っかり、ただ呆然とその場のやりとりを聞き流すばかりであった。
その後しばらくして室長が戻った。
再び重たい空気があたりを支配する。
われわれとしても、今日はこれ以上の議論は無理と考え、とにかく計画内容を早急に見直してみる旨を室長に伝え、この日の会議は終了となった。
つづく
第二話 われわれが作りたいのは「道の駅」ではなく「滞留拠点」なのだ [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
事業採択が有利に進むのならと、スケベ根性丸出しで名乗りを上げたパイロット事業が無事認定され、経産省から専門家として二人のコンサルタントが派遣されることになった。
われわれまちづくりの素人集団にとって、こうした事業を進めるにあたって専門家の存在は不可欠だ。
プロの豊富な経験が、われわれの知識や経験の足らざるところを補い、事業を確実な方向に導いてくれる。
だが、コンサルタントといえども、すべての分野についてオールマイティというわけではない。
事業推進にあたっては、まちづくりに必要な建築、デザイン・設計、企業経営や広報活動など、テーマごとに得意分野を持つ複数のプロ=コンサルタントの力が必要となる。
われわれはこれまでも、メインコンサル(コンサルタントは長いので、今後はコンサルと省略)のコムズワーク以外にも、何人かのコンサルのお世話になってきた。
この事業を進めるにあたってもっともハードルの高かった「市民コンセンサスの形成」では、中小企業基盤機構のアドバイザー派遣制度を利用させてもらったし、協会病院跡地の構想立案にあたっては、国交省系のコンサルタントである東大のH教授の力を借りた。
コンサルとの付き合い方というのは実はなかなか難しい。
仕事を全面的にコンサルに丸投げというなら話は別なのだが、今回の場合、アイデアの発端が我々サイドにあり、市民も計画作りのプロセスに参加しているという背景があるから、コンサルのアドバイスを丸ごと飲み込むということにはならない。
もちろんコンサルの的を射たアドバイスについては大いに参考にさせていただいたのだが、こちら側の事情を斟酌しない発言にはとことん抵抗し、結果としてコンサルと論争になる場面も少なくなかった。(なんたってY社長、玉ちゃんは、自らが納得しないことに安易なことでは妥協しない、骨っぽい理論派なのだ)
今回のパイロット事業で経産省から派遣されてきたのは、全国各地のまちづくり事業を経験してきた、いわば「まちづくり」のプロともいうべき、S社のT氏とM社のM氏であった。
実はこのお二方とはこれまでも面識がなかったわけではなく、T氏とは前述のアドバイザー派遣事業で、またM氏とは開発局が主催し、私もパネラーとして参加したまちづくりの講演会ですでに出会っていた。
本計画の過去の経緯を知る二人が派遣アドバイザーとして送り込まれて来たということもあって、来春のオープンに向けて、マルシェ事業が一日も早く事業採択され、余裕をもって計画を進めたいと考えていたわれわれにとっては心強い味方、この二氏から今後どのような形でアドバイスでいただけることになるのか、マルシェ事業の強力な応援団として大いに期待していたのである。
が、ことはそう簡単には進まなかった。
原因はそもそもT氏との出会いにあった。
T氏とアドバイザー派遣事業で初めてお会いした夜の懇親会(というか飲み会)で、まちづくりの考え方について議論した際、我々サイドと意見が合わず、少々気まずい関係になってしまったのである。
議論の詳しい内容は記憶していないが、まちづくりの考え方、進め方についてどうにも埋めがたい「時代感覚のずれ」のようなものがあったのではないかと記憶している。
そんな過去の出来事が原因で、この度の派遣事業を受けるにあたって、T氏と我々との間には何やら最初から対決ムードという雰囲気が漂っていた。
出会いが出会いであっただけに、パイロット事業での議論もどこかかみ合わず、互いが互いの主張をゆずらないという、大人同士の議論としてはいかがなものかという状況に終始する始末。
「Tさんは本当に我々の応援団なんですよね」
本事業を通して開催された三度のミーティングで、わたしが毎回繰り返し確認するようにT氏に向かって投げかけた発言である。
われわれの計画に対して、アドバイザーというより、評論家的(に聞こえてしまう)なスタンスとさえ思えてしまう議論の在り方に、私としては大いにクエスチョンマークだったからだ。
こちらにはこちらの、「これだけはゆずれない」という思いがある。
さりとてT氏もプロ、氏のプライドにかけてゆずれない一線があることもまた事実。
互いの意地と意地が火花を散らし、三度のミーティングは結局平行線のまま終了することにとなってしまった。
「これはまちづくりに対する思いと哲学の相違。経産省のプレゼンではこれにひるまずしっかり理論武装して乗り込もう」
三度の議論を経て、出した我々の答えがこれであった。
応援団づくりと思って、手を挙げたパイロット事業も、思いがけずアゲンストの風となってわれわれの行方を阻むというのは想定外の出来事であったが、我々の思いと熱意で経産省を説得しよう、経産省もきっとわかってくれるさ。こんな出来事に遭遇しても、どこまでもノー天気なわれわれの中には、まだ、そんなあまちゃんな考え方が幅を利かせていたのだ、少なくともあの方にお会いするまでは。
あの方・・・・ああ、とうとう話がここにたどりついてしまったか。
ここで私は、中心市街地活性化事業計画にたずさわって以来最大の事件について書き記さなければならない。
それは経産省から事業採択を受けるまでは、けっして触れることの許されない、門外不出の出来事なのであった。
基本計画が内閣府の認定を受ける以前から、いずれお世話になるであろう経産省には上京の折りに顔を出し、マルシェ計画についても構想のあらあらを打診していた。
経産省の中活担当者にも富良野ファンは多く、中には熱心な「北の国からファン」もいて、はじめて面談させていただいた時にも、非常にフレンドリーな雰囲気の中で会話させていただいた。
マルシェ計画についても概ね好意的に受け止めていただいたのだが、その時持参したマルシェのラフデザイン(第一案)に描かれていた、マルシェ空間の真ん中に配置した「築山」が議論の的となり、せっかくの広いスペースがこの「築山」によってだいなしになるのではという指摘を受けた。
マルシェの真ん中に「築山」を配置した意図については、それなりの明確な理由があったのだが、初対面ということもあり、「今後の課題ということで」と、それ以上の議論はせず、和気あいあいの中で顔合わせを済ませたのだった。
*これが「築山」をマルシェ内に配置した案

パイロット事業でのかみ合わない議論も、その時点では経産省にきちんとわれわれの考え方を伝えられれば、けっして乗り越えられない壁ではないと高をくくっていた。
計画書を提出して、一か月が過ぎてもなかなか採択が下りない状況に少々やきもきし始めていたある日、玉ちゃんから連絡が入った。
「あのう、実は今日経産局のS室長補佐から電話があって、近々上京するので同行しませんかと言ってるんですけど、N本さんどうします?」
「それって、経産省から要請が来たってこと?」
「いや、でもどうも経産省の室長からいろいろ言われてるみたいなんで、中押しの意味でも出向いた方がいいんじゃないかと・・・・」
「そうだよなあ。計画書を出してからしばらく音沙汰ないもんねえ。パイロット事業での議論のこともあるし、ここらで中押ししておかないといけないかもしれないなあ」
「N本さん、行けます?」
「行ける行けないじゃなく、行かないといけないタイミングなのかも・・・。よし、じゃあ、この際コアメンバー全員で出向いて経産省を納得させることにするか」
S女史からの情報を整理すると、どうやら本丸の室長が採択を渋っているようで、大幅な見直しをしなければ採択はきびしいらしい。
確かにパイロット事業のコンサルから指摘のあった点も、われわれなりの理論武装で計画変更はしないまま突破をはかろうとしていたわけで、その方針は応援団である局のS女史を説得することでなんとかなると踏んでいた。おそらくこの間「省」と「局」の間で丁々発止のやり取りがあったのだろう。
そのS女史からSOSが入るということは、かなりまずい状況になっていることは間違いない。
この状況を突破するには、われわれが直接出向いて室長を説得するしかないのだ。
われわれは急ぎ書類を整え(理論武装し)、大挙霞が関へと出向くことを決意した。
幸い経産省で問題となっていた「築山」については、コアメンバーで議論の末、「広場」という考え方に修正していた。それをお土産話にすれば、経産省のメンツも立つだろう。
しかし、「町中の魅力ある滞留拠点づくり」というわれわれのコンセプトは絶対に変えられない。
民間が自分たちのリスクでやろうとしている事業なのだから、その思いをしっかり伝えることで、室長にも理解していただけるのではないか。怖いもの知らずというか世間知らずというのか、とにかくそれが我々の考え方であった。
2009年2月27日、S女史とともにN本、玉ちゃん、たけちゃんのコアメンバーで経産省を訪問。
迎える経産省も室長以下6名の担当者が同席し、運命の会議が始まった。
つづく
第一話 「戦略的中心市街地活性化事業」をめぐるさまざまな出来事 [フラノ・マルシェ物語 第一部 第六章]
「フラノ・マルシェ」事業を進めるにあたって、われわれは経済産業省の「戦略補助」と称される補助金に目をつけた。
これは中心市街地の活性化に寄与すると経産省が認定した事業計画に対して、事業主体となる企業または団体に経産省から2分の1の補助金が出るという、この不況下にあってなんともありがたい制度なのだ。
高松市の丸亀町商店街、飯田市のまちづくりカンパニーなど、まちづくりの先進地と言われるところは、ほぼ例外なくこの補助金をうまく使ってまちづくりを進めている。
民間が主体となってまちづくりを進めようとしているわれわれとしても、採択されれば事業予算が黙って2分の1になるという「おいしい補助金」なら使わない手はないぞということになり、先行する「マルシェ事業」で、本年度経産省の戦略的中心市街地活性化事業の一次募集に名乗りを上げたわけである。
もちろん国の税金を使う補助事業なので、単に名乗りを上げたからと言って、それらがすべて事業採択されるわけではない。
事業の先進性、実現性、事業効果などの観点から、審査委員会で厳しいチェックがなされ、そのハードルを越えた者だけが手にできる栄光なのである。
一次募集の応募にあたって、まずはこの事業の受付窓口である道の経産局をくどきおとさ・・・・・をっほん!納得させなければならない。もっとも身近なところで地方自治体と接している局の判断が、事業採択可否の鍵を握っているからだ。
中心市街地活性化基本計画の認定を受けるにあたって、局を通さず内閣府にいきなり出向くという掟破りの行動をとったことが経産局にもれ、後日玉ちゃんが道経産局から呼び出しを食らうという波乱のスタートを切った我々だが、その後何度か局を訪れて礼を尽くしたり、局主催の講演会などでも協力させていただいたこともあって、次第に互いの距離感が縮まり、いつしか局の担当者からは「まちづくりに燃える熱いおじさんたち」として好意的に迎え入れていただけるようになった。
局とのそのような好ましい関係が構築できたのも、ほとんど運命的出会いと言っても過言ではないs室長補佐の存在があったればこそと、今振り返ってあらためてそう思う。
s室長補佐は、本事業に関する経産局の担当者で、なんと奇遇なことに、隣町上富良野町出身の女傑(?)なのであった。
年のころはといえばメイビー「アラフォー」(違っていたらごめんなさい)。
小柄な中にも、凛としたムードを漂わせ、笑顔の中にも眼鏡の奥に鋭い眼光が光る、世に言う「できる女」といった雰囲気のバリバリキャリアウーマンなのであった。
隣町とは言え、富良野とはほとんど親戚同然という心理的距離感のなさが我々には幸いしていたし、なによりも彼女自身が富良野エリアの応援団であったこともラッキーであった。
同郷のよしみという近しさからか、ことを進めるにあたっても官対民という裃つけた固苦しさはなく、おじさんたちのいつものずうずうしさで、彼女をもまた悪だくみ一味に取り込もうと画策さえする始末。
中心市街地活性化基本計画が晴れて内閣府の認定を受け、その報告を兼ねた祝賀会に参加いただいた際には、酔った勢いも手伝ってわれわれおじさんたちがs女史を勝手に「一味扱い」してしまい、その流れは「あの騒動」がおこるまで続いていたのだった。
「あの騒動」・・・・・ああ、ついに私は「あの騒動」と書いてしまった。
できることなら最後まで触れずにいたかったのだが、こう書いてしまった以上、「あのこと」について触れぬわけにはいかぬ。
そう、それは順調にいけば5月に採択いただけるはずのスケジュールが、二ヶ月間遅れの二次募集までずれ込むことを余儀なくされてしまった、いわゆるひとつの「事件」だったのだ。
ことの発端は「経産省パイロット事業」の認定であった。
中心市街地活性化を進めるにあたって、先進的と思われる事業に対し、経産省が人的なバックアップを行い、事業がスムーズに進行するようとりはからうというのが本事業の趣旨。
全国でモデルケースとして5都市が選定され、富良野がその一員として選ばれたのだ。
ふつうに考えればそれはとても喜ぶべき事態なのだが、それがどっこい。
いや、あのね、今だから言いますが(というか、私は最初から言っていた)、ただでさえ、やれプレゼンだ、やれ講演だ、やれ会議だと日常多忙を極める中で、この上さらに負荷がかかるに違いないこの事業に、あえて名乗りをあげるのはいかがなものか。なんだか面倒なことが待っていそうな、とってもいやな予感がするなあ・・・と、わしゃ直感的にそう思っていたのじゃよ。
とまあ、そんなわけなので、私個人としてはこの事業に名乗りを上げるのことについては非常に気が重く、どちらかといえば反対論者であったのだ(ね?玉ちゃん)。
しかしまあ、そうは言いつつ、この制度を受けることにより、経産省の事業採択もよりスムーズになされることになるのではというスケベ根性もどこかにあったわけで、「溺れる者はわらをもつかむ」、最終的には私がゴーサインを出してしまったのである。
ああしかし、この決断が、後にとんだ不幸を招くことになろうとは・・・
*え~、ここから先を書くのにはちょっと勇気がいるので、覚悟が決まるまで少々お時間を(って、いやに気を持たせる書き方でしょ?)







